53 五十嵐亮太 東京ヤクルト 引退

53 五十嵐亮太 東京ヤクルト 引退

2020年10月15日 [ 新着情報 ]

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こんにちは。リサイクルマートドミー瀬戸菱野店のお茶目なサバちゃんです。
 
本日のブログは、東京ヤクルトの五十嵐亮太選手の引退について書き込みます。

球界のキムタクと呼ばれたイケメンボーイが引退します。寂し〜

ヤクルトスワローズ(現東京ヤクルト)を皮切りに、メジャーリーグのニューヨークメッツ、福岡ソフトバンク、
再び東京ヤクルトと渡り歩き、クローザー・セットアッパーとして活躍しました。
 
五十嵐亮太選手の栄誉を称え、輝かしい23年間の球歴をご紹介します。
 
五十嵐選手は、千葉の敬愛学園高校から1997年ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団しました。1年目、2軍で
10試合に登板して30奪三振、ファーム日本選手権でMVPを獲得するなど注目を集めると、2年目には1軍デビュー。
150キロ台の速球を武器に、中継ぎのみで6勝をマークしました。
 
以後、ケガによる離脱こそあったものの一軍に定着し、2001年にはファンからの公募により、同僚の石井弘寿投手と
共に「ロケットボーイズ」の愛称が付いたことも。
2002年、2003年には2年連続で60試合以上に登板し、当時のプロ野球記録となる158キロを記録した2004年には5勝
3敗37セーブで球団セーブ記録を更新、最優秀救援投手に輝きました。
 
2006年には右肘じん帯断裂が発覚してオフにトミー・ジョン手術を受け、2008年に復活。2009年にFA権を取得する
と、これを行使してメジャーリーグのニューヨーク・メッツに2年総額300万ドルで移籍しました。
 
2012年、福岡ソフトバンクホークスとの3年契約で日本球界に復帰すると、2019年のシーズンからは古巣のヤクルト
へ。
在籍時と同じ「53」を背負って開幕から力投し、5月28日には史上7人目となるNPB通算800試合登板、8月8日には史
上4人目となる日米通算900試合登板を達成しました。
 
今シーズンは、開幕直前から故障で一軍を離脱。その後の昇格はなく、今季限りでの現役引退を決断しました。
 
10/25に神宮球場で行われるvsドラゴンズ戦を引退試合とし、登板するそうです。
五十嵐選手の最後の勇姿を見守りましょう。
 
リサイクルマートドミー瀬戸菱野店では、五十嵐選手が2000年に着用していたユニフォームを展示しますので、興味
のある方は、ご来店ください!
 
以上、サバちゃんでした。byby

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